7月19日(木)日本記者クラブにて広瀬 晴子 元駐モロッコ大使をお迎えしてESUJ講演会を開催しました。テーマは『日本発カリフォルニアからヨーロッパ経由光きらめくモロッコへ』。大学卒業後人事院へ進まれてから通算21年間、海外に勤務された広瀬大使の軌跡です。
広瀬さんがカリフォルニア・スタンフォード大学大学院に留学されることになったのは32歳の時。日本の女性官僚でも珍しかったと思いますし、ご本人も当初は躊躇されたそうですが、行ってみるとクラスメートには42歳のarmy出身者がいたりで、世界観・人生観もいっきに広がり何事にも「遅すぎる」ということはないと体感されたそうです。これがきっかけで帰国後も国内で仕事をすることよりも国連機関での仕事に興味をもたれ、47歳でパリのUNESCO(国連教育科学文化機関)本部へ向けて再び日本を飛び出されました。その後続けてUNIDO(国連工業開発機関)に移られウィーンへ。国際機関はまさに世界の縮図、各国の利益や思惑が絡み、また様々な国籍の個人がポスト・政策を巡って陰日なたに様々な闘争の連続ですが、合わせて14年間、人事部長・事務局次長(No.2)などの要職を務められました。その中で、激しく意見をぶつけ合い闘った末にひとつの結論に達したあとはnothing remain、次回からはそうならない、といった国際社会のルールなども学ばれたそうです。その後には、大使として赴任されたモロッコの美しい風景をご紹介くださりながら、その独特かつ魅惑的な風土や食文化、そして映画‘カサブランカ’のイメージを180度転換させる現在の経済発展都市の姿など、楽しいお話はつきませんでした。
この間に子育てもされながら、単身赴任で日本ではまだ数少ない女性大使の大役も果たされる広瀬大使・・・は、実はとても気さくで明るいお人柄。“English is a passport to the world”と結ばれ、英語でいかに世界が広がっていったかというお話には説得力がありました。しかも、国連で一番話されているのは‘ブロークンイングリッシュ’。(これは以前明石康 元国連事務次長(ESUJ副会長)もおっしゃっていました。)この日の広瀬大使の英語でのご講演も、大変失礼ながら流暢なネイティブ調の英語というより、日本人にも大変親しみやすい、わかりやすい英語でした。‘肝っ玉母さん’的な度量の広さで人を動かし、ソフトながらも力強いパワーで堂々と国際舞台を渡り歩かれてきた広瀬大使はこれからの女性にも大いに活躍してほしいとエールを送られました。